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ナポリ近郊で発掘されたローマ時代のモザイクガラスの緑色の部分を分析した結果、約1.5%のウランを含有しており、これが初めてのウランガラスとも言われている。 |
1789 |
ドイツの化学者クラプロートが、チェッコのヨハヒムスタール鉱山でピッチブレンドと呼ばれた鉱石の中から新しい元素ウランを発見。このウランは染料やインクとして使用された。
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1830年代 |
ボヘミア(現在のチェコ)のガラス工芸家フランツ・リーデル氏が、ガラスにウランを着色剤として使用してウランガラスを製造し、娘の名前を取って、アンナゲルブ(アンナの黄色)、アンナグリュン(アンナの緑)と名づけた(下記注★参照)。同じ時期にハラッハ家のボヘミアでのガラス工房でもウランガラス工芸品が製造された。。 |
1836 |
英国でウランガラスの蝋燭台が作られ女王に献上された。 |
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ウランガラスの製造はフランス、英国、イタリア、さらに米国へと急速に広がった |
1897 |
この年にチェッコのヨハヒムスタールから供給されたウランで、約800トンのウランガラスが製造されたと言われる。 |
1830−1899 |
この間、酸化ウラン150トンにより、約15,000トン以上のウランガラスが製造されたと推定されている。 |
1928−1938 |
アメリカでのウランガラス(主としてプレスガラス、つまり、型押しガラス)の全盛時代。鉱山局の推定によれば、年間70−170トンのウランが輸入された。 |
1899 |
日本の岩城硝子、島田硝子などで、ウランガラスの信号灯レンズ、食器、ガラス工芸品を製造。大正から昭和にかけて国産のウランガラスの製造が広まる。 |
1920−30s |
ウランガラス製のゴールデングローライトと言われる機関車の前照灯が大阪のメーカーで製造され広く使用された。現在、京都梅小路の博物館に展示されている昭和天皇のお召列車にも使用されている。
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1900−1930 |
ウランガラス全盛時代:世界中で装飾品や実用品にウランガラスが使用される。 |
1942.5 |
マニラ沖コレヒドール要塞から接収された高性能のレーダーの送信管にウランガラスが使用されていたことが判り、わが国でも真空管材料にウランガラスが使用される。 |
1943.1 |
突然のウランガラスの製造中止。アメリカで原爆製造のためにマンハッタンプロジェクトに伴い、非軍事目的へのウランの使用を制限する政府の命令。英国でも同様な動き |
1960年代 |
ウランの使用の規制が緩み、ウランガラスの製造が少量であるが再開される。ウラン濃縮プロセスからの減損ウランの使用が広まる。 |
2000 |
「ウランガラス同好会」の発足、2001.1には「日本初のウランガラス展」を開催。 |
2003 |
岡山県上斎原村、人形峠の国産ウランを使用したウランガラス「妖精の森ガラス」を開発 |